協会情報

電気新聞 時評 ウエーブ「科学技術と意識の進化」

2020年2月7日
原子力安全推進協会顧問
松浦 祥次郎


最近、久しぶりに雪中散歩をしたくなり志賀高原の山林を独りであえぎながら輸かんじき歩きを楽しんだ。消えかけたウサギの足跡のほか全く踏み跡がない雪面を一歩一歩と進みながら最近読んだ本の一節に深い実感を覚え直していた。数年前に英国で出版されたマット・リドレー著の翻訳本で、邦訳題名は「進化は万能である」とされている。その一節に「進化は一歩一歩と実現する。決して飛躍はない」との認識を非常に強く表明していた。「そうだ。進化(エボリユーション)はそうなのだ」との強い断定的衝撃を覚えた。

世界はイノベーション(新機軸、革新)の激流に飲み込まれそうになっている。何か飛躍的な変化の到来を想わせるものがある。しかし、本来イノベーションもエボリューション同様「一歩一歩」でなくてはならないのであろう。そうでなければ瞬時にその結果が崩壊する可能性もあり得よう。

原子力における研究開発利用とその展開は20世紀における大きな進化であり、革新であった。ところで、我々原子力関係者は我が国社会への原子力利用導入過程において、真底から一歩一歩足元を踏み固めてきたであろうか。

振り返ってみると、およそは確実に遂行したと言えるがいくつかの大きな蹉朕(さてつ)が鮮明によみがえる。直ちに頭に浮かぶ具体例は原子力船むつ炉の放射線漏れ、高速増殖原型炉もんじゅのナトリウム漏れ、JCO臨界事故、そして福島第一原子力発電所事故などがある。

福島事故以外はその原因が速やかに確認されそれらの技術的対応にはさしたる困難はなかったが、社会の理解を得るために長い時間と多大な努力を要した。その背景には科学技術的進化と社会的進化の差異についての大きな無理解と無関心があると考えられる。すなわち、近現代における科学技術的進化の目覚ましい成果とその利用による社会的効果の大きさを目にして、「科学技術的進化と社会的進化は並行して進行する」という無邪気な思い込みにはまっていたのではないか。

その挙句が、原子力利用導入時には余りなかったいろいろな社会的困難を蓄積させてきたのでなかろうか。最近問題となっている火山や地震のリスクに対する原子力界と司法の間の判断の理解しにくい差異はその典型例のように見える。

科学技術的進化と社会的進化の基盤となる人の意識の進化には深い関係があるが、しかしそれらは本来それぞれ独自的進化をする可能性がある。このような視野を持った調整を一歩一歩試みる必要があると考えられる。原子力の専門家は原子力科学技術の現状および将来の可能性と限界を社会に分かりやすく示し、さらに社会の懸念への配慮を如何に将来計画の遂行に取り入れるかを具体的に示さなくてはならないのであろう。

他方、社会の懸念、心の懸念というのは何かをもっと明瞭にさせる必要性がある。意外に懸念となっていた多くが誤解に過ぎなかったことが明らかとなり、それらを払拭することにより社会が近現代文明の所産の恩恵をより高く享受できる可能性を探求する選択も捨てるべきでないと思う。

このためには科学技術と意識の進化の差異には何らかの橋をかける必要がある。この作業に脳科学、社会心理学、情報科学技術、哲学などの最近の成果が大きい効果を与える期待を覚える。

以上