協会情報

電気新聞 時評 ウエーブ「可能性と壁・放射線障害」

2019年4月26日
原子力安全推進協会顧問
松浦 祥次郎


第52回原産年次大会が4月9、10日に「原子力のポテンシャルを最大限に引き出すには」を基調テーマとして開催され、特別講演、基調講演と関連のパネル討諭を通じて、現今の国内的及び国際的状況と見解が参加者と共有された。

今大会で注目されたのは、原子力利用のエネルギー面に重点を置くのみでなく、非エネルギー利用面の産業技術、医療、農業や、さらに広く、武器の発達にともなう人の心情の歴史的変化にまで視野を拡げたプログラム編成である。

なかでも特に印象的であったのは本郷和人・東京大学史料編纂所教授の特別講演であった。教授は平安末期から戦国終期に渉る期間の戦いで使用された主要な武器の変遷を弓矢、長刀、槍、鉄砲と示し、信長が全国統一を確実にした根拠は鉄砲の大量利用によるものとした。信長は貿易港である堺を抑え我が国に無かった火薬原料の硝石を独占して自軍火力を圧倒的にし、全国統一に歩を進めた。

この見方は、秀吉の刀狩(1588年)や家康の櫃武(えんぶ=武を伏せる)の思想が江戸期庶民に比較的抵抗少なく受け入れられた理由を納得させてくれる。威力ある武器による戦国期の地獄を見た庶民は、武力抵抗より平和によるいのちの安全を永く渇望したのであろう。歴史を顧みると、戦争により技術が階段状に進歩することが多い。技術が進歩したときはその技術を活用するのが人の幸せをも増進する。それが歴史の事実だと教授は認識しておられ、「原子力を使い、広めるのは日本の使命ではないか」とのメッセージで講演を閉じられた。

原子力エネルギーについて、我が国は1945年に核爆弾の業火に多数の市民がさらされたが、戦後は平和と安全を大前提にその技術の活用を進めた。しかし2011年には巨大津波による福島原子力発電所事故でかなりの居住地域が、事故炉から放出された放射性物質に汚染されるという災害に襲われた。原子力平和利用は現代文明成果の享受であるとしても、国民に利用を懸念する心情が生じ、それが長く続くのは当然である。

ところで福島事故では3基の原子炉建屋が発生した水素爆発で破壊されたが、チェルノブイリ事故のように原子炉本体の爆発により炉心の核燃料物質自体が空中高く吹き上がったというものでなく、放出された放射性物質のほとんどは核分裂生成物のセシウム137で、放出全放射能量はチェルノブイリ事故の約10分のーであった。

また、人体被ばく及びそれによる放射線障害については、早発性障害による死者は一人もなく、晩発性の障害(がん)を発生する被ばく者も、事故処理従事者、一般地域住民を含みほとんど無い、有るとしても極めて稀であろうと国際的評価で結諭されている。これが科学的事実である。

それにも関わらず強制的に避難させられた住民、特に病気療養中の患者や養護老人ホームなどの高齢者に二千人を超える死者が出たと報告されている。この不幸な事態は、原子炉事故時避難の準備不足、対応判断の過誤によるものと考えられるが、その主因は放射性物質、放射線に対する簡単な基礎知識すら確実には習得されていなかったためである。

安全な原子力利用は、今大会で再々指摘されたように大きな可能性を持っている。この実現には確実な放射線防護の知識と技術体系を社会構造の一部として備えることが不可欠である。

以上