協会情報

電気新聞「時評」 タックスヘイブン

平成28年5月31日
原子力安全推進協会代表
松浦 祥次郎


先頃、これまでの想像をはるかに超える規模と詳細な内容を持って全世界に伝播された「タックスヘイブン(租税回避地)報道」には心底からの衝撃的怒りを覚えた。国により、地域により租税が異なることはどの時代にも、どこにでもある。その場合そこに住む全ての人々は富むも貧しくも、等しくその税制の利害、制約を受ける。しかし伝えられたタックスヘイブン情報では、洋の東西にわたり、数々の国と地域の超上層部が巨大な個人的資産を積み上げている可能性が報じられていた。

人生の意義をただひたすら財貨の蓄積に掛けている強欲な個人の合法的行為であるなら、人として軽蔑するとしても、その制度的不公平を非難するのみである。しかし、国家や社会の尊敬、信頼を受け、指導的立場にある者が、タックスヘイブンで巨利を貪っているとすれば、これはただ事ではない。将来の大きな禍根となる。かつて英国の歴史家トインビーは世界諸文明興亡の研究に関する彼の主著「歴史の研究」において「最上層部が利己に走り、周辺がそれに倣った文明はすべて崩壊した」と指摘した。現代文明においてもその可能性は深慮に値するであろう。

さらに気懸りなのはその情報伝播の様子である。ある月刊誌の指摘では、「情報内容に意図的と思われる偏りがある」とされている。情報のままを素直に受け取れば、最初の発信者(ジョン・ドウ氏=名無しの権兵衛氏)の行動も、受信者(南ドイツ新聞記者)の対応も正義感にあふれた信頼すべきものと思われる。しかし、「内容の偏りから判断すると、情報は世界の覇権争いに変化を起こそうとしているものではないか」との見方も指摘される。

この上に、現今の全世界に渉る地政学的な危機やテロの頻発が重なれば、まさに世界は薄氷の上とも見える。これは過剰な悲観論とも言えようが、筆者が働く原子力分野においても、安全問題の上に、核セキュリティ問題の重要性も一段と荷重が増しつつある実感を覚える。そして、これら全ての問題を特性づける要因に最新の科学技術文明進歩の成果が隙間なく奥底まで入り込んでいることを認識しておかなくてはならない。まことに科学技術が両刃の剣であることを実感させられる。

人がこのように文明を進化させてきてしまったのは、その途上でどこかに大きな間違いを犯してしまったのであろうか。おそらくそのようなことはないのであろう。現在の人の歩む方向が人の特性通りの方向なのであろう。そのことを確かめるには、最近の人類学の知識に学ぶのが最適のように思える。人類学が教えるところでは、人類には3つの種がある。人とチンパンジーとボノボである。人とチンパンジーの遺伝子(DNA)の差は1.6%しかない。現在の人は一種しかいないが、過去には複数種の人が同時に存在したことが証明されている。人という種の際立った特徴の一つは、同種の人を含め、自分に不都合となれば他の生物を個別的にも組織的にも徹底的に殺傷しようとする唯一の生物種であるとされている。

もう一つの明らかな特徴は言葉を獲得したことである。すべての生物種は種の存続をかけてDNAの突然変異を繰り返し、進化を遂げてきたが、人も進化の過程のどこかでよほどの存続の危機に襲われ、種の存続のためにこのような特徴を獲得したのではなかろうか。そして文明を発展させ、文明発展の過程で限りないほどの良きもの、悪しきものを創造してきた。

今や、人類文明は自らを生み出した宇宙を認識するまでに至っている。これほどの能力と価値を有するまでに至った人という種を滅亡させない知恵を世界は欲しているに違いない。世界の自然人類学者、文化人類学者の知恵を借りてはどうか。



以上