協会情報

電気新聞「時評」 福島原子力事故の風化防止

平成28年4月6日
原子力安全推進協会代表
松浦 祥次郎


「災害は忘れた頃にやってくる」。古来、この言葉は大災害の記憶風化の戒めに伝えられ続けている。外敵の侵攻や戦争の様な人的災害でも、大地震や自然環境の大変化、それに伴う疫病大流行等の自然災害でも、それらの記憶の風化は容赦なく進んでゆく。

我が国のみでなく、世界のどの地域でも、歴史が始まって以来、300年を越えて国や社会が安寧を保った例はほとんどないが変化の影響が酷くても人と社会はその記憶を風化させて来た。

このような歴史的事実を顧みると、福島第一原子力発電所事故から5年が経過した今、事故の記憶風化が懸念されるのが早すぎると考えることはない。我が国の地政学的環境を考える時、エネルギーセキュリティ上、原子力利用能力をある程度以上に維持するのが必須と考える原子力事業者が風化防止を決意するのは当然である。

では将来の我が国社会のために、原子力事業者はどのように事故記憶の風化を防ぎ、安全確保を万全に原子炉を運用し、社会の認識を改めながら信頼を取り戻して行けばよいのであろうか。

これについては、我が国の長い歴史から多くの貴重な知恵を授かることができる。我が国は重要な知恵や技術を風化させないように、数百年以上に渉って継承している実例を数多く有している。

それは宗教行事である。原子力と宗教とは関係が無いように思われるが、原子炉事故記憶の風化防止の根本的意味は人と社会の安全確保の堅持であり、宗教行事の本来目的も人と社会の安全・安寧祈願であるから、双方に通じる文化であろう。

重要な宗教行事として、仏教では何回忌、何十回忌、或は何百年遠忌というのがあり、神道では何十年か毎の式年遷宮がある。ここで非常に大切なことは、単に祭祀を繰り返すということだけではなく、それに関連する知識、情報、そして各種の技術が世代を超えて継承されることである。見過ごしてならないのは、行事は僧侶や神官が地元の人々、檀家や氏子と一緒に協力し、代々相互の信頼を確かめあっていることである。

筆者が生まれ育った近くにある北野天満宮では村上天皇の御代(946~967年)に始まったと伝えられる例大祭、「芋茎(ずいき)祭り」が行われている。屋根が芋茎で葺かれた神輿を氏子が毎年当地で採れた農作物で飾り奉納したことからその名がついたと言われている。祭りが終われば、神輿は完全に解体され材料は処分される。毎年つくり直すことでその意味と技術が千年以上ほぼ確実に継承されている。

現在の原子力技術がほぼそのまま100年も使用されるとは想像できないが、原子力エネルギー利用は世界が決定的に変化しない限り数百年以上継続するとも考えられるから、無災害技術体系が確立されるまでは重大事故を防止する対応は不可欠であり、事故記憶を風化させることはできない。

原子力利用の場合、宗教行事の祭祀に相当するのは事故対応訓練である。継承の内容に安全確保の技術、知見経験を可能な限り合理的かつ具体的に組み込んだものとしなくてはならない。

訓練の内容は事業者と専門家が詳細に検討して構成すべきであるが、福島第一原子力発電所事故の記憶を伝え、事故防止の実を堅持するには、原子炉を用いての重大事故防止訓練であろう。

訓練は初年次に最大規模の訓練を実施し、その後は年次、5年毎、10年毎と規模を調整し、30年目は再度最大規模とするのであろうか。そしてこれらを可能な限り地元と協力して実施することで、技術の確実な継承とともに社会の信頼も維持できるのではないか。

事故記憶の風化防止には、このような伝承的訓練の実施は如何であろうか。



以上