協会情報

電気新聞「時評」 大乗思想と原子力安全

平成27年12月15日
原子力安全推進協会代表
松浦 祥次郎


原子力安全確保の分野で「オール・イン・ワンボート」(我ら皆同じ船の乗り合い、同朋)との標語がしばしば使用されるようになって久しい。この言葉は「弥陀の慈悲の大きな力により、大きな船に乗ったように衆生すべてが極楽に導かれる」との大乗仏教の基本的な教えとひどくよく似ている。

しかし、多少の違いもある。大乗では「自力を捨て、弥陀の他力により」とあるが、原子力安全は「事業者の自主的努力により自力で」との決意が求められている。とは言え、「自己の狭い認識に固執せず、原子力安全の価値認識を広く共有し、一致協力して安全確保の最高レベルを目指そう」との理念は大乗仏教的と言えよう。

このように考えると、仏教や儒教には、安全確保に極めて大きく役立つ多くの教えが見つかる。例えば、「悪因悪果を生む」は事故の種を原子炉の設計・製造・建設で埋めてしまうと、いずれは大事故に至るとの意味であり、また「諸悪莫作」はリスクの原因になることをしてはならない戒めとも読める。論語の「徳は孤ならず、必ず隣あり」は、誠実を尽くせば必ず協力を惜しまない隣人が現れるとの意味であり、安全確保活動を進めるうえで欠かせない教えである。

「オール・イン・ワンボート」が原子力分野で頻繁に言われるようになったのは1986年のチェルノブイリ事故の後であった。「どこかの原子力発電所で大きな事故が発生すると、その影響は世界のどの地域の原子力発電事業にも深刻な影響を及ぼす」との警告を込めた標語である。あるいは「原子力発電事業に関るものは安全確保のうえでお互いに縛め合う関係にある」との意味とも考えられる。

チェルノブイリ事故よりかなり早く、米国の原子力発電事業者は1977年のスリーマイル島原子炉事故に対する深刻な反省からINPO(原子力発電運転者協会)を設立し、この協会を教導者として、相互に縛め合う関係を構築し、一体感を堅持しながら協力して安全運営の実績を高めて来ている。この活動の背景には、同国海軍が目指している原子炉安全の完璧さ実現への強烈なエトスを、事業者も我が物としようとの30年余の継続的努力が認められる。

現在では米国原子力規制委員会の事務局高官でさえ、米国の原子力発電安全運営実績への同協会の大きい貢献を高く評価している。

世界的にはチェルノブイリ事故の後、米国の活動を模範としてWANO(世界原子力発電事業者協会)が設立され、全世界の原子力発電事業者を同様の絆で繋ぎ合わせ、安全運転の実効性を高める努力を継続している。

では我が国において「オール・イン・ワンボート」はどのような前進を遂げたであろうか。筆者は原子力安全委員長在勤時に全国の発電所を訪問した。その際に強い印象を受けたのは、各発電所の独自性が極めて強く、安全確保に関する業務や作業で事業者間に一致協力するような雰囲気が殆どなかったことであった。

「オール・イン・ワンボート」の理念の下、原子力発電事業者間の実際的協力が初めて試みられ、相互協力の実を上げるきっかけを得たと思えたのは、先の九州電力川内1号機の再稼働における事業者間の協力であった。これは我が国の原子力発電事業者の安全向上における相互協力が可能なことを実地に示したことであり、本質的に「安全運営における一蓮托生」の可能性を示した嚆矢として伝えられるであろう。これが今後も続き、内容のレベルが向上してゆくことを切に望みたい。

ところで、原子力規制委員会はこのボートの一員であるとの自覚を持っているであろうか。仏の心を持った鬼になってボートに鎮座し、しっかりと安全航路を示し、安全検証をしてもらいたい。

以上