協会情報

電気新聞「時評」 土着的原子力安全文化

平成27年8月5日
原子力安全推進協会代表
松浦 祥次郎


この6月下旬、久しぶりに国際原子力機関原子力安全部主催の会議に出席する機会を得た。主題は「原子力発電所の安全運転―福島事故の経験を踏まえて―」というものであった。原子力発電所の運転に限らず、かなり成熟した技術基盤に基づく工学的施設・設備での事故、故障、不具合等の原因のほぼ70%は人的因子によるものであることが指摘されている。今回の会議でも予想通り、組織ガバナンスや原子力安全文化についての講演・議論が多くあった。

この種の議論において、以前から基本的課題として考えているのは、近・現代文明の所産としての工学的施設・設備発展の背景、即ち「西欧文明的思考」と、それを運営する組織構成の歴史的背景、即ち「それぞれの土着的文化特性」との間の整合性はどのように出来上がるのかとの問題である。

これについて国際的な場で議論をしてはと思い、筆者が国際原子力機関の原子力安全グループ(INSAG)に参加していた時に、討議課題として以下のような提案をしたことがあった。

「原子力技術は世界的文明所産となっているが、その背景は西欧文明的思考に基づいている。一方、施設を運営する組織にはそれぞれの地域社会の歴史的・文化的背景が存在する。この二つを融合、整合できるかが原子力施設の安全確保に影響を与えると考える。グループ討議の課題として如何」

この提案に対して、欧米文化圏の多くのメンバーは強い興味を抱き賛成してくれたが、アジア地域からのメンバーからは賛成を得られず採択されなかった。残念であったが、興味深い結果であった。

さて、最近はとみに原子力安全文化についての議論が盛んだ。むしろ、安全文化こそが原子力安全確保における最重要の人的因子と認識されていると言っても過言でないくらいになっている。

それにつれて、改めて上記の課題がより鮮明に心に浮かび上がってきた。最近は原子力安全文化にちなんで放射線安全文化などのあり方も議論の対象になっている。ここまで含めると、安全文化の地域的特性、いわば「土着的安全文化」の重要性を改めて考える必要があるのではなかろうか。これは幕末・明治の先人達が苦労した「和魂洋才」の融合あるいは整合の問題と同類なのかも知れない。

ところで、「安全文化」は英語の「セーフティ・カルチャー」が翻訳されたものであるが、このカルチャーと文化は語源の意味が全く異なるもので、ある種の違和感を持つ。カルチャーには耕作に出自があり、強い土着性、地域性を感じる。一方、文化は「文をもって夷を化す」との古い漢語に由来し、極めて中華的視点、今ならグローバル化的視点の語感が強い。カルチャーに同等の意味を持つ日本語が見当たらないからだろうが、語源にまで遡って語を作ってもらいたかった。

これまで原子力発電利用は、比較的に欧米化が進んだ地域、国々で普及した。しかし、現在原子力の利用を拡張または新規導入しようという地域は欧米化が比較的に進んでいない地域である。世界の原子力発電利用の安全を強化し向上させるにはこれら土着的文化の強い地域で、欧米的思考と融合した、或は整合のとれた原子力安全文化を創造する必要がある。

わが国には価値を認識し継承する伝統的知恵として、武道、茶道等に堅持される「道」がある。おそらく、どの地域、どの国にも価値認識とその継承の知恵があるに違いない。それらを基盤とした安全文化を各地域で創造し、原子力科学技術と融合、整合させることで更に人類に大きい利益をもたらす安全な原子力文明を作り出せるのではないか。福島事故を経験せざるを得なかったわが国は、そのためのパイオニアワークができる機会にあると考えられる。

以上