協会情報

電気新聞「時評」 安心・安全からリスクへ

平成26年7月30日
原子力安全推進協会代表
松浦 祥次郎


去る7月16日、原子力規制委員会は定例会議で九州電力川内原子力発電所1,2号機の原子炉設置変更許可に該当する審査書案を示した。すなわち、同炉が規制委員会の定めた新規制基準に適合しているとの評価結果である。

実際の運転再開までには、翌17日から開始された30日間の一般からの科学的・技術的意見募集を経て最終審査書の確定、工事計画認可、保安規定変更認可、地元了解、使用前検査など、いくつもの関門がある。とはいえ、最初の関門が開かれたことは間違いない。

かねてから、政府は「規制委員会によって安全性が確認されれば、地元了解のうえで原子力発電所の運転を順次再開してゆく」との考えを示している。これに対し原子力発電利用に反対の人達から安全性確認への懸念を主点とし、その他種々の観点から再稼働へ反対論が根強く主張されている。

規制委員会は審査開始時に「世界で最も厳しい規制基準を定めた。これにより審査を実施する」との安全性確認の基本姿勢を示していた。また、審査書案を示した会議後の記者会見で、田中俊一委員長は質問への応答で「新規制基準は相当ハードルが高くなっている。一定程度安全性は高まったし、評価してよいと思う」と見解を述べている。これに対し、一部の人達からは「必ずしも新基準は世界で最も厳しい基準とは言えない。また、福島事故の原因究明をまたずに再稼働するのはもってのほかである。特に、過酷事故時の災害対策準備は不完全も甚だしい」などと強く批判されている。

これらの批判は審査の課題と筋道が異なっていたり、あるいは過酷事故時のオフサイト対応のように、規制委員会の規制範疇外の課題であったりで、まともに議論がかみ合わない。特に、原理主義的予防原則に基づく安全要求では現実的問題についての議論にはならない。しかし、原子力行政全体としての説明責任と実際的対応は不可避である。

ところで、田中委員長が別の場での「安全であると言っているわけではない」と発言したことについては社会的に誤解が無いように説明を明確にする必要があるように思われる。おそらく「安全である」との言葉を発した途端に、「リスクゼロ、絶対安全を主張した」と誤解が広がることを委員長が懸念して、このような発言になったのではなかろうか。

現在の社会で、普通の常識で判断する人なら、リスクゼロの状況の中で生活できると考える人は皆無であろう。ところが、原子力の議論となると、リスクゼロを要求するのが当然であるかのような主張がなされているのをしばしば耳にする。

このような混乱が生じるのは、安全とか安心とかのような意味の明確な定義が困難な、幅の大きく揺れる言葉を使っての議論をすることに原因があるのではないか。しっかりした議論に基づいて物事を判断するには、やはり概念定義が明確にできる言葉を使用するべきであろう。

7月11日に開催された総合資源エネルギー調査会原子力小委員会に有識者として招かれ、意見を述べられた黒川清・元国会事故調委員長は論述のまとめにおいてこのことを極めて明確に指摘された。すなわち、現在世界は急速に変化しつつあり、それに対応するための「キーワード」は「透明性とアカウンタビリティ」であること、そのために思考や行動のいくつかの基本型を急速に、明確に変更すべきであることを示された。そのような変更をすべき思考の最重要基本型のひとつとして、「安心・安全」から「リスク」への変化をあげられた。世界は、この変化が必然となる方向に確実に進んでいると実感せざるを得ない。安全性向上よりもリスク低減のほうがはるかに明示的である。

以上