協会情報

電気新聞「時評」10%セオリー

平成26年4月4日
元日本原子力技術協会最高顧問
石川 迪夫


消費税の話ではない。

海中に生息する動植物の,食の階層についての話だ。出典を見失ったが、著名な地球物理学者、竹内均先生の著書であったと記憶している。

太陽の光で海中に誕生する植物性プランクトンが毎年約500億トン、それを食べる動物性プランクトンが10分の1の50億トン、それを食べる小魚の総重量が5億トン、小魚を食べる大魚の総量が0.5億トン。海には、大から小へと10%比率での食の階層が作られていて、自然の均衡が保たれているという。だが陸上では、人間がこの比率を壊したので分からない、と書いて居られる。

ここから後は、僕の戯作だ。太陽光が陸上に作る緑が年間約1300億トン。これを動物性プランクトンと見立てて、10%セオリーが成り立つとすると、緑を食う毛虫や昆虫の類の動物性プランクトンが130億トン、それらを喰う小動物や小鳥などが13億トン、更にそれを喰う大動物が1.3億トンという勘定になる。

ここで人間が登場する。体重を50キロとして計算する。

2万年以上昔の狩猟時代は、地球人口は一千万人弱だった。その重量は0.005億トンだから、大動物の1%以下、万物の霊長と君臨して、大動物を捕食しても自然均衡を壊さなかった。その代わり獲物がないときの飢餓は悲惨だ。当時の平均寿命20歳は、不安定な食料事情を示している。

300年前の、産業革命以前の農耕時代は、食料供給が安定した地球上の人口は約4億人に増えた。総重量の0.2億トンは階層的には大動物だ。鶏や羊くらいは食べても自然を壊さず、太陽エネルギーを頼りの人生40年が送れた。

それが今や人口70億だ。総重量の3.5億トンは、大動物の枠からはみ出している。自然界の掟では小動物の分類に入るから、食べ物は毛虫や昆虫などとなる。

だが現実は大違いだ。人間様は、ステーキや刺身など贅沢三昧、小動物の分際で大動物を食べて、平均寿命は今や70歳だ。かりそめにも、毛虫や昆虫を食べろなどと言ってご覧じろ、柳眉を逆立てて誹られ、人間扱いされなくなる。

この理に合わぬ現実が存在可能なのは、他の動物が使えない食料を人類が手に入れたからだ。その正体が人工エネルギーだ。

意外に知られていないのが、エネルギーと食料が同一物である事実だ。その証拠に単位が同じだ。電気の単位kWhは食料の単位カロリーに換算できる。電気の光で野菜が育つことを考えれば、同じものであることが分かる。

産業革命以来、人類は石炭、石油、原子力と、人工エネルギーによって数を増やし、文明を発達させ、寿命を延し、野に満ちた。間もなく100億に近づく。

この人口が平和裡に生きていくには、数に見合った十分な食料、エネルギーの安定供給が必須だ。不足すれば、生き残りの熾烈な争いが始まる。争いを避けるには、大量で安定したエネルギーを作る原子力発電に頼るしかない。

ところで、エネルギーとは本質的に危険なものだ。エネルギーがなければ事故災害はない。だが、それを使って生きているのが動植物、命の宿命なのだ。

化石燃料の消費は地球の温暖化をもたらした。最近の地球気象は異常で、災害が多い。自然エネルギーは非効率で不安定だ。値段も高い。原子力は放射能を作る。

だが、1万8千人余を失った津波の被害を被りながら、原子力災害による死者はゼロだった。嫌われてはいるが、放射能の害は小さい。事故から3年が過ぎた。冷静に考える時がきている。

鄧小平は「黒猫も白猫もネズミを捕るのがよい猫」と共産主義に拘泥せず、経済を発展させた。エネルギーも同じだ。好き嫌い、偏食は健康を損なう。

以上