平成26年1月7日
元日本原子力技術協会最高顧問
石川 迪夫
年始めの話題に相応しいものではないが、福島の避難者で自宅に戻りたい人は1割強との調査記事が昨年でた。離れるほど帰郷し難くなるのは世の常だが、この数字は火山ガスの三宅島の帰郷率6割強と較べて、極端に悪い。
その理由の一つは、1ミリSv除染未完了による放射能アレルギーだが、今一つに、学校、仕事、福祉インフラと、子供から老人にいたるまでが、それぞれに馴染んできた生活がある。この解決は単純ではない。当事者の地方自治体は頭の痛いことであろう。
だが1ミリSv問題は、この線量にまで除染するとの、細野大臣と佐藤福島県知事との約束に始まった。除染が達成できなければ危険だ、帰れないと思いこんでいる避難民が多いという。だが、除染で天然自然の放射線レベルに戻すことは不可能だし、費用もかかる。放射能の減衰には、長い時間を必要とする。だから帰れない。
早期の帰宅実現には、約束の変更しかないが、政治家同士の約束は、政治家が解決するしかない。
帰宅問題の根源となった緊急避難はどうであったろうか。
3キロ圏住民に避難命令が出たのが震災当日の夜9時だ。その時刻、発電所正門付近で測定された放射線量率は、平常時と変りなかったから、避難する必要は全くなく、自宅待機で十分だった。
翌12日早朝、10キロ圏にまで避難は拡大された。その時の線量は、後に避難基準となる20ミリSv/年ほどであった。遠方の10キロ圏の線量は正門より遙かに低いから、その地域の住民が避難する必要はなかった。
避難が必要となったのは、3日後の14日深夜からだ。2号炉の溶融で、発電所周辺の線量が上昇したからだ。政府の避難指示は早過ぎたのだ。
早過ぎたから、計画もないままの強行避難となった。避難民は何の準備もなく車に乗せられ、行く先も教えられずに、避難ラッシュの交通渋滞に巻き込まれた。国会事故調の報告書によれば、この避難で病院及び介護老人施設の60名ほどが命を失ったとある。
このような無茶な避難を、なぜ政府は急いだのか。東電がベントを開く前の避難の実施を要請したとの噂を聞くが、恐らく事実だろう。東電の不勉強な要請が悲劇の一端を担っている。
しかし、命令責任は政府だ。それも、放射線測定も行わず、避難線量基準も持たず、闇雲に発電所からの距離だけで避難区域を決めた。如何に緊急事態とはいえ、これは杜撰、非常識な決定だ。
非常識避難は、放射線災害を知る専門家が官邸に居なかったから発令された。専門家の不在は、安全委員会が緊急時助言組織を招集しなかったから起きた。
日本に、放射線の専門家は沢山いる。緊急時の手順に従って、助言組織を立ち上げていれば、専門家は万難を排して参集した。避難線量基準などは即座に定まり、避難区域決定のための線量測定が実施されたことに違いない。嘗て僕はその一人だった。
そうであれば、強制避難は14日深夜まで行われず、避難線量に達しない地域での避難もなかったに違いない。その結果、避難者の数は激減し、計画の立った避難で死者は出なかったであろう。
避難者数が減れば、地元に残る人が多くなる。人が残れば、震災で壊れたインフラの復旧は直ちに実施され、福島の復興も他県に遅れず進んだであろう。
と考えてくると、今日の避難者問題は、事故発生に狼狽して緊急時の手順を守らなかった、安全委員会(政府)の責任に帰せられる。口うるさいマスコミが、なぜこの点に気付かず、責任追及の動きがないのか。これも狼狽の故か。
以上