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電気新聞「時評」歴史認識問題

平成25年6月10日
元日本原子力技術協会最高顧問
石川 迪夫


歴史認識問題が再燃しだした。尖閣に従軍慰安婦問題が今日の具体例だが、そもそも歴史認識などという、見方により解の異なる思考上の問題を、現実を取り扱う政治の場に持ち出すこと自体が異常なのだ。

ナポレオンはフランスでは国民的英雄だが、近隣諸国では侵略者扱いだ。ジャンヌダルクが火刑にあったのは15世紀、魔女と審判されたからだ。歴史認識は、国により時代により変わる。

尖閣の周辺は良い漁場で、日本統治下にあった時代の漁業権を、終戦後も台湾に認めたのが問題の発端だ。中国とは無関係だ。

竹島問題は、昭和27年、韓国李承晩大統領の海洋主権宣言で、勝手に決めた李承晩ラインの内側に入ったことから起きた。以降の、韓国による日本漁船拿捕件数は328隻、抑留者数4000名弱、死者44名という。酷い話しだ。

この様な史実は横に置いて、歴史認識を敢えて持ち出すのは、日本人が謝罪好きで、摩擦を恐れて反論をしないからだ。イジメとは毅然たる姿勢の欠如に発する。

三人揃って頭を下げる謝罪風景はテレビ報道の定番だが、問題の本質を語る責任者の姿を見た例がない。頭の上を風が通り過ぎればとの安易な打算がそこにある。この態度がイジメを呼ぶ。

理を尽しての釈明は角が立つ。マスコミも煩い、周辺も迷惑する。逆らうよりはと謝罪に走るが、黙って切腹が美化されるのは日本だけの話しだ。一分の理を十に主張するのが外交の世界だ。

戦争の償いは、サンフランシスコ平和条約の結果、不参加のロシアを除いて、各国への賠償で終わっている。そこで出てきたのが日本政府の謝罪、次いで慰安婦への個人補償問題だ。その根拠が歴史認識、謝罪好きの日本世論を計算に入れている。だから執拗だ。

戦争の歴史を持ち出せば日本は必ず謝罪するから、繰り返して使える。歴史認識は、その口実に過ぎない。真剣に考えるべき、戦争に至った歴史とは異質のものだ。

だがここにきて、日本人も気づき始めた。竹島占拠に怒りを感じ、米国議会での朴談話に不快感を覚えた。中国船による度重なる尖閣領海侵犯に、海上防衛力強化の必要性を感じだした。

慰安婦についての橋下発言は拙劣だが、歴史が持つ時代背景の重要性を突いている。侮辱への抗議表明でもある。戦争に至った歴史背景について、与党議員から発言が出始めたのも心強い。

だが、ここで終わらせては元の木阿弥だ。なすべきことは、持ち出された歴史認識問題を奇貨として、関連史実を集め、隠さず遠慮せず、全てを世界に公表することだ。米国の外交文書が50年を経て公開されるのと同種の行為だ。その評価や認識は、第三者の国々や歴史学者に任せれば良い。

従軍慰安婦の強制連行に国が関与したか否か、旧日本軍関連の記録を丹念に調査することだ。当時、女衒は何処にでもいた。

占領下に置かれた日本は、赤線青線と称された特殊飲食街(売春許可地域)が存在し、駐留軍兵士で賑わった。日本で売春防止法が成立したのが昭和31年、独立を取り戻した後のことだ。その頃の韓国の性風俗事情はどうだったのか、比較調査は時代背景を証明するための関連史実だ。

平和条約締結後の日韓間には、古くは金大中拉致事件、近くは盗難仏像の返還拒否など有る。これらの史実も集約しておくことだ。

断っておくが、史実の収集は喧嘩を売るためではない。執拗で身勝手な発言への自衛手段だ。

何れの国家にも歴史がある。それぞれに誇りも反省もある。それは個人の尊厳と同じだ。相手の非を論う前に、自らを三省した上で善処を求めるのが大人の解決法、国家を預かる政治家の役目だ。

以上