協会情報

電気新聞「時評」 原発ゼロの欺瞞

平成29年10月19日
原子力安全推進協会理事長
松浦 祥次郎


先の臨時国会冒頭、首相の専権により衆議院が解散され、10月10日にその議員選挙公示がなされた。解散をきっかけに政界地図に大きな変化が生じた。政権保守与党系、反政権保守野党系、左派リベラル野党系の三つどもえ争いになっている。選挙の最重要争点は現政権の継続か退陣交代かである。その中で反政権保守系と左派リベラル系が重要視している政策が「原発ゼロ」である。

原発問題の本質はエネルギー問題である。実際的には電気エネルギーの確保と供給の問題である。原発は「我が国が中長期にわたり安全で高品質な大量のエネルギーを高い自給率で得るにはどのようなエネルギー資源構成を構築するか」との選択の解の重要な一部を科学技術的に確保する手段である。

「原発ゼロ」は現代文明の典型的な成果である科学技術的可能性を放棄するとの国家的決心を意味する。それを憲法条文に銘記するとまで主張する政党もある。我が国の現在と将来を徹底的に考えたうえでの政治的決心であるかを疑う。

疑念の根拠は「原発ゼロ」が選挙公約に主張されているところにある。選挙は集票力が鍵である。有権者の心をなびかせる言葉を、かつ相手が使えない言葉を捉え、相手にぶつければ勝てるのである。福島事故後、政権与党はたとえ原発の可能性を理解しているとしても、現今の選挙では原発推進を主張できない。原発問題にはどうしても腰が引ける。そこを狙って「原発ゼロ」をぶつける。利口だ。

ところで現在および将来の電気エネルギーの需要について、近い将来の先進社会での一次エネルギーとしての電気エネルギーの消費比率は、現在の約30%が約70%を超すほどまで増加する可能性が見込まれるとの指摘もある。(本欄9月8日記事、内山洋司氏)

これらの状況に再生可能エネルギー源からの供給で対応するためには壮大な規模の高密度蓄電の可能な電池が不可欠である。いわば石油貯蔵タンクやガスタンクのような電池ビルである。電池はしょせん化学エネルギーレベルの反応で蓄電するので桁外れの高密度蓄電は科学的に不可能であろう。また、現在最も高密度蓄電が可能なリチウム電池での事故を考えると、大規模構造の電池群の安全性確保は現在では予見不可である。このような事情も評価の上で原発ゼロを主張しているのか。

原発は上述の事態にも現用技術ですでに対応可能である。その根拠は、核エネルギーの特性にある。核エネルギーはウランやプルトニウムのような核燃料元素の原子核の結合エネルギーとして蓄積されており、それが核分裂で解放される。核反応と原子・分子反応では放出エネルギーに約100万倍の相違がある。これが核反応により人類が稗益を得る根源である。このプロセスを電気エネルギーに変換・制御できるのが原発である。核燃料によれば、電気エネルギーの使用が現在より数倍に増加しても、数年分の貯蔵は技術的には何ら困難はない。さらに、ウランは海水中に約45億トン溶解して存在しており、それを採取する技術はすでに我が国の海域での実証試験を経て開発済みである。

核エネルギーは太陽光、風力、水力、地熱と同様に我が国の領域の中で無制限に自由に採取できるエネルギーである。この開発済みの近代文明所産を放棄するような政策で我が国の将来に希望を与えるというのはひどい欺瞞である。

むしろ、我が国の国民が原爆攻撃、水爆実験、福島事故の災害から心に固着させてしまった放射線、放射能へのトラウマを取り除き、正しく畏敬しながら原子力科学技術を理解し、活用する現代教育を初等レベルから実施し、超先進国として現代文明所産を駆使して世界の貧困を軽減し、平和が続く政策をこそ打ち出すべきである。

以上