協会情報

電気新聞「時評」 深層学習

平成29年6月29日
原子力安全推進協会理事長
松浦 祥次郎


スポーツやゲームの分野で、今まででは考えられなかったほどに若年層の選手が大活躍するニュースに最近しばしば驚かされる。卓球、体操、スキージャンプ、ボルダリング、あるいはまた囲碁や将棋において。日本人の平均的な基礎的身体・脳機能に急激な飛躍があったとは想像できないが、何かが大きく変わりつつあるような予感を覚えさせられる。

訓練や学習システムが特段に進歩したのであろうか。もし人の育成・成長において、極めて詳細精密な観察を行い、その結果を統合し、脳機能の進展に合わせて身体的機能の発展を最適化させるような訓練システムが急速に開発され発展したのなら、十分にあり得ることであろう。

この実例を典型的に明示している印象的な新聞記事に最近出会った(日経新聞6月4日朝刊1面)。人工知能(AI)が世界最強のプロ棋士との三番勝負に完勝したというのだ。

脳のニューロンシステム(情報伝達系)の機能をモデルにして計算機に自己学習機能(深層学習機能)を持たせ、高度の人工知能を実現しようとの研究開発が進められていることはよく知られている。これまでもその成果がチェスや将棋で世界の第一人者をすでに超えたことを示していた。囲碁に関しては、指し手選択の多様性から人工知能が名人を凌駕(りょうが)するのはいまだしばらくは不可能であろうと予想されていた。その予想を覆し、早くも人工知能の高い可能性を示せるようになった背景には、情報処理技術と自己学習の強化による深層学習機能の向上があると言われている。

何かの問題解決において、数ある選択の可能性の中から多様な結論を導き、そこから最適な結論に至る道程を強化された学習機能によって高速化できることが可能になりつつあることが実証されたと理解される。

このためには関連する極度に多岐多様な事象をもれなく把握し、それらの連携可能ケースを目的事象の全体系として統合したうえで、要求に適した選択を制限条件、制限時間内に決定できなくてはならない。そして現在の計算科学、計算機技術はこの実現の可能性を期待させるまでに到達していると思われる。

先に挙げた若年アスリートが実現している成果は、計算機によるものではなく、それぞれの種目における動作行動の中から、勝つために最適な動きの連携を、先端的な観察手法や経験知により統合的に把握し、そこから各選手に最適な動作を選び抜き、それを徹底的に練習(学習)させるとのアプローチが採られているのではないかと想像される。これもある種の深層学習であろう。

さて筆者にとって現在の最優先、最重要課題は原子力事業における安全確保(リスク低減)である。言うまでもなく、この問題はスポーツやゲームよりも内容の把握も対応も難しい。しかし、しょせんは全て人の動作行動に起因するわけであるから深層学習の意味と効果は本質的に同じである。

原子力安全問題の発生における起因事象の把握と明示、発生後の経過の進展可能性、終息への対応のプロセスの一連の経緯は、発生する事象や関連する現象や条件は多岐多様に及ぶが、それぞれの分野においての既知既得の基盤的知識や基本的現象などの全データ(ビッグデータ)を最新の計算機技術を駆使して、いくつかの蓋然(がいぜん)性のある条件のもとで評価すれば、かなり的確性の高い結論に至る可能性が高いと考えられる。

現在鋭意進められているPRA(確率論的リスク評価)の手法は深層学習の重要な部分を構成するものと考えられる。かつては夢物語であったような人工知能の汎用化は意外に近いように思われる。

以上