協会情報

電気新聞「時評」「海の日」「山の日」

平成28年7月29日
原子力安全推進協会理事長
松浦 祥次郎


今年から新しい国民の祝日として8月11日に「山の日」が施行されることとなった。山好きの筆者はそのことがなんとなくうれしく、今回のテーマに「山の日」を取り上げようと思っていた。ところが、原稿を書き始めた7月18日は偶然にも「海の日」である。それにあやかり、テーマに海と山を取り上げることにした。

わが国は海に囲まれた海洋国家であると同時に、典型的な山国である。海に面しない県はいくつかあるが、山がない都道府県はない。ところが、海の日の元になった「海の記念日」はずっと以前、昭和16年に制定されている。昔から海とともに親しまれている山の方は、国民の祝日としての話もなかった。

これは国が定める「国民の祝日」の考え方からすれば当然の成り行きかもしれない。祝日法第1条に「…国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め…」とあるので、なにか大層な国家的出来事がなければ国民の祝日にできない相談になる。この論理によれば山での活動は極めて個人的なものであるから、多くの国民が山に親しんでも、それでは国民の祝日に定めることはできなかったのであろう。一方、海の記念日にはれっきとした記念的根拠がある。明治9年、明治天皇が東北地方巡幸の時、恒例であった軍艦でなく、灯台巡視の汽船「明治丸」で航海され、横浜港に帰着された7月20日にちなんで制定された。

ところで、国家として「海の日」の様な国民的祝祭日を制定している国は世界中どこにもなく、わが国が唯一例とのことである。とにかく、唯一というのはそれだけでも価値がある。いずれ世界の嚆矢(こうし)とされるであろう。

古来、わが国での山の営みは山人の林業や狩猟、そして細工物作り以外は、もっぱら宗教的なものであり、行者はすでに奈良時代から深山幽谷で修業を重ねていた。

明治時代に英国人宣教師ウォルター・ウェストンが上高地を経て飛騨山脈に登り、その素晴らしさに感激して「日本アルプス」と命名したのを契機に、日本山岳会が設立され、わが国の近代的登山が始まった。

しかし、明治、大正時代の登山は大変贅沢なスポーツで、とても庶民が楽しめるようなものではなかった。登山が大学山岳部やワンダーフォーゲル部を中心に盛んになったのは、ようやく昭和30年前後であった。日本山岳会の遠征隊によるヒマラヤの巨峰マナスル(8163㍍)の初登頂成功が当時の登山ブームにさらに拍車をかけ、やがて登山は一般市民の愛好スポーツの一つとなった。

マナスル計画の成功をきっかけに「山の日」を求める声が方々で上がったが、それだけでは祝日法第1条をクリアするほどの力はなかった。最近に至って日本人の平均寿命、特に健康寿命の高齢化に比例して、退職後の高齢者登山が激増してきた。さらに、これにならんで女性の登山愛好者も激増した。そして、日本が誇る富士山が世界文化遺産に登録された。

このような国民の総合的運動は国を動かし、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことを趣旨とした「山の日」が国民の祝日に制定された。ちなみに「海の日」は「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」を趣旨としている。

いずれにせよ、海も山もそこでの活動にはかなりのリスクがある。リスクに対する準備と自己責任を確実にわきまえ、まさかの際のレジリエンス能力を持つ国民と組織が増えれば「海の日」「山の日」ともに万歳である。国民の相当割合がそうなれば、今後の世界を震撼させかねないと懸念が高まるポピュリズム、内向き指向、テロリズムに充分対抗できる社会ができ上がることと確信する。

以上