協会情報

電気新聞「時評」 量的変化と質的変化

平成28年2月16日
原子力安全推進協会代表
松浦 祥次郎


自然現象のあらゆる事象において、量から質への転化とその逆の転化をエンゲルスが自然弁証法の最も基本的なテーゼ(提題、法則)として位置づけたことはよく知られている。

たとえば水を例に考えても、温度の変化によって氷から水へ、さらに水蒸気へと変化するのは知識としてテーゼを認識する以前にわれわれは生活手段としてこの変化を利用している。

とは言え、テーゼを認識してその意味を日常生活や社会活動に適正に活用できるか否かで相応の損益差が生じる。我が家の冗談のような例だが、一通り料理法を身に付けていながら、我妻は焼き魚をよく焦げ魚にしてしまう。ガスレンジの炎と調理時間を実測で決定すれば適切な焼き加減となる。そうならないのは量(ガス流量と時間)と質(焼き加減)との関係則を適切に利用しないからである。

一方、大きく世界的課題に視点を転じると、「低炭素排出エネルギー」の潮流を確実にするうえでの原子力エネルギー利用の重要性に改めて目が向けられ始めているが、放射線の問題は避けられない。

さて、量と質の関係において筆者が強く懸念するのは、多くの日本国民が抱かされている放射線障害リスクに対する過剰な恐怖感についてである。

身体障害リスクについて放射線リスクが理解されにくいのは多少とも理解できる。切傷や打撲による障害について皆、大抵は経験をしており、大きい障害は極力避けるし、逆にリスクゼロを要求することもない。一方、放射線障害を受けた経験者はほとんどない。普通は実感として経験できないから心配が過剰になるのはやむを得ない。それが嵩じると、ゼロリスクという不合理な要求をすることになる。

これに対しては、「量的変化は質的変化を生じる」の放射線障害ケースを科学的事実に基づいて理解を進め、各自で許容レベルを判断できる尺度を会得しなくてはならない。

放射線も被ばく量が低ければ障害を発生しないことが科学的に実証されている。被ばくが高くなると、障害が強くなり、やがては死に至る。切傷や打撲も同様であるが、放射線被ばくは直ちには実感できず障害の判断ができない。

障害を実感はできないが科学的根拠に基づき評価尺度はmSv(ミリシーベルト)の単位で示される。ここで、日本の貨幣が応用に極めて便利になっている。通常の硬貨(5百円)以下の数値の被ばく量なら、心配するほどの障害リスクはない。紙幣(1千円)以上の数値の被ばくでは明らかな障害が生じ、それ以上の高額紙幣のレベルになると生命に危険が及ぶ。これは放射線影響専門家の岩崎民子博士が以前から示しておられる判断尺度である。通常の原子力利用状況では環境放射線レベルは十分低いことが長年の実績で確認されている。一般国民が自分で判断をしようと考えるのは、過酷事故発生時や事故後の対応を考え判断するときである。そのような場合に、岩崎先生の工夫は合理的で分かりやすい方法であると筆者は高く評価している。

文明が高度化すると、複雑化も進む。その中であるシステムの構成要素や作用の量的変化がその特質や特性の変化にどのように影響するかを正しく把握するのは益々困難になる。社会はこのことを十分に理解し、適切な対応(量的変化の素因把握とシステムに影響を与える機序の解明、それらの知見に基づいて適切な対応の遅滞ない実施)を受容し協力することがはるかに重要になる。それを怠れば、将来に発生する不適合や災害遭遇の可能性が大きくなるであろう。この種の課題への対応の基礎を実例に基づき早い段階から教育することが、社会の安全、安寧を確保するための必須の課題と考える。

以上