協会情報

電気新聞「時評」 原子力安全目標の構築

平成27年6月18日
原子力安全推進協会代表
松浦 祥次郎


福島第一原子力発電所事故の後、その強い反省の一つとして国際的にも、国内的にも原子力安全目標の再構築を目指す議論が進められてきている。国際的にはIAEAのINSAG(国際安全グループ)の議論が文書として最終確認の段階に至っていると聞く。

 一方、国内的には原子力規制委員会においてその発足時から、重要課題の一つに挙げられており、すでに過酷事故時における原子炉からの放射性物質最大放出量の限度を、セシウム―137で100テラベクレル以下とすることを安全目標の指標として要求している。この値は福島事故で放出されたセシウム―137の約100分の1であり、周辺環境への障害を防止するという目的からは実際的な指標であると考えられる。しかし、原子炉施設及び周辺全ての特性を含めた安全目標としては、改めて諸分野の専門家を含めた議論による再構築が必要である。

 また電力中央研究所に最近設立された原子力リスク研究センターでは、その最重要課題として「総合的リスク情報を活用する意思決定システムの構築」に挑戦すべく、原子力発電事業関係者の一致協力のもとに活動を進めつつある。そして、このシステムの真価を発揮させるうえで安全目標の設定が緊要であると考えられる。

 もともと原子力安全目標は、「原子力利用はどれほど安全であれば十分に安全であると言えるか」との問いへの答えとして、設計基準を超えた過酷事故のリスク抑制を考慮して、その設定が1976年に米国で提案されたとの記録がある。その直後、1979年にTMI―2事故が発生し、過酷事故リスクが厳しく再検討され、安全目標の議論が高まった。

 米国規制委員会を中心に、この議論が規制基準としての安全目標の設定を目指して継続され、多くの検討結果が公表されたが、規制基準としての策定には至らず、1993年に一旦終息した。「原子力利用によるリスクを一般社会生活におけるリスクより十分に低く抑制する」という定性的安全目標の理念は定着したものの、規制基準としての定量的安全目標の設定には多くの実際的困難が認識されたためと思われる。

 しかし、この徹底した議論は米国においてTMI―2事故が如何に深く反省されたかの証左であり、また現在に至るまで規制側、被規制側双方にとって「原子力利用におけるリスクを現実的、実際的に如何に低減するか」を考えるうえでの強固な基盤を提供するものとなっている。

 1986年のチェルノブイリ事故の反省からINSAGにおいて安全目標に関する議論が専門家によって国際的に行なわれ、その結果がINSAG文書―3(原子力基本安全原則、1988年)に反映された。ここでは定性的安全目標とともに、当時の技術レベルに基づく当面の定量的安全目標が炉心損傷確率、放射性物質の大規模放出確率として掲げられている。

 これまでの安全目標設定の議論を振り返ると、定量的安全目標の設定が極めて難しいことを示している。これは原子力利用におけるリスクが如何に小さくても、その意味を社会が実感できない。合理性だけで理解を得る性質の問題ではないのであろう。

 社会から理解を得るための安全目標ではなく、むしろ事業者の自己研鑽のため、安全のエクセレンス追求のためのメルクマールとして、また設定目標を達成すれば、さらに自動的に目標が向上されるような段階進歩型の安全目標を事業者自らが設定するのを推奨したい。現実的、実際的にリスクをより低減するため、技術力、施設・設備機能、組織力、経営力等々の全てを尽くし、真摯に努力を継続している姿を社会が見ることによって、原子力利用への信頼感が徐々に回復するのではなかろうか。

以上