協会情報

電気新聞「時評」 品質保証の今昔

平成27年1月14日
原子力安全推進協会代表
松浦 祥次郎


今年の元日お節は予想もしない珍客の来訪で、お屠蘇の銘醸が一段と馥郁さを増した。珍客というのは3人の能楽師である。実のところは、たまたま我が家の女婿はさる流派の能楽師であり、その縁でこのような珍事が起こったわけである。

我が家は息子と娘が1人ずつで、双方の家族と一緒に元日のお節を楽しむのが数年来の習慣になっている。女婿が所属する流派では元日の伝統行事に流派の能楽堂での謡い初めがある。元日の行事が終了する時間を見計らってお節を始めることにしている。そろそろ来る頃かと待っていると、女婿から「突然ですが、仲間を2人同伴してもいいですか」との電話があったという次第。

全員でも9人の集いで、そのうちの3人が能楽師となると、歓談は自然に能の話題が主になる。3人はいずれも不惑を数年前に越え、間もなく知命に至る年恰好である。現在の能楽界を支え、今後の斯界を背負う自覚が出来上がりつつある時期に入ろうとするところである。それは、取りも直さず各自が能の評価を問われることでもある。

能楽師の評価は、どの曲を舞うことができるかで定まるようである。流派によって多少の差異があるようではあるが、室町時代以来の伝統の中で舞い続けられてきた数々の曲の中で、幾つかの定められた曲を段階に応じて舞う事で評価を受ける。

それらの曲の中で特別に位置づけされているのが「翁(おきな)」という曲らしい。「翁は能であって能に非ず」と言われる古曲で、その意図は「天下泰平、国土安泰、五穀豊穣」をひたすら祈り、寿ぐ舞である。以前は流派の家元のみに舞うことが許されたが、現在では一人前になった能楽師が一生のうちに一度だけ舞うことが許されている。これを無事に成し遂げた能楽師は能楽での重要無形文化財保持者(総合指定)の認定をやがて受けることになる。能を天職と定めた能楽師にとっては必須の関門となる舞である。

翁を舞う時には、その前に10日間の精進潔斎が課せられる。その他にもすこぶる詳細に準備過程が定められており、舞終わるまで一分の隙も無いほどに流れが定められている。準備や舞の所作について「何故そのように定められているのか」と問うことはおそらく意味がないのであろう。たとえその意味を理解したとしても、だからといって舞の本意を幽玄な雰囲気の中で観客に感得させるのにどれほど効果的かは疑問である。

むしろ、翁に臨むに至るまでの修練の蓄積と、精進潔斎の準備の中でひたすら伝統の在り様を身に着け直す実践こそが根源的に重要なのであろう。舞うことへの誠実さ、完全性への希求こそが関門通過の鍵であろう。

見方を少しずらせば、舞におけるこのような過程は芸術における品質保証の過程なのではなかろうか。そしてその過程は現代技術分野における分析的過程ではなく、全体的統合性と均衡を歴史的伝統の中で磨き培ってきた過程である。

近時、原子力分野の現場では安全確保のための品質保証が極めて重要視されている。時として厳しい品質保証活動は現場にとって相当な負担になる。しかし、安全確保の根本的かつ実際的目標は、まさに天下泰平、国土安泰である。ならば、品質保証活動は翁の舞に臨むような心がけで実施すべきとも考えられる。

原子力技術には未だ伝統と言えるような歴史的蓄積は無い。経験を蓄積する中で頼りになる技術的伝統を培っていかなくてはならない。その基盤は技術的誠実さ、完全性への希求であり、その蓄積であろう。今も昔も品質保証の根本は同じと考えられるのではないか。

以上