協会情報

電気新聞「時評」 シミュレーション

平成26年10月29日
原子力安全推進協会代表
松浦 祥次郎


計算機及びその運用技術が進歩するにつれ、多くの分野で計算機を用いたシミュレーションによる未来予測がなされている。例えば過去の一時期に盛んに行われ、その後少し下火になっていた地球温暖化のシミュレーションが再び活発化したりしている。種々の経済動向の予測なども盛んになる一方のようでもある。

それらの予測結果を見ながら、いつも疑問に思うのは、その結果の精度即ち不確実さをどのように理解しておけばよいかである。地球温暖化を予測する場合、その計算方法や入力データは基本的に過去の気象観測結果から得られたものを利用するのであるから、ある程度の確かさが保証されるかもしれない。それでも近来及び将来の人類文明活動による影響や、ほとんど予測不能な地殻変動や大隕石落下などの影響は入力データにできるはずがない。仮にできたとしてもそれは結果の不確実さを極端に大きくするのみで、結果を利用するという目的にはおよそ役立つとは考えられない。

経済動向の予測では、過去の情報が統計データ等で相当精度よく把握される一方、予測方法に種々の個人的かつ社会的特性とそれらの変動を広範に配慮しなくてはならないとの困難が考えられる。

とはいえ、計算技術の発達と専門家の努力により、各種のシミュレーションが陸続となされ、それらを参考にして、相当に重要な社会的判断が実際に行われてもいる。しかし、その判断を観ながらいつも心配なのは、その判断の根拠とされているシミュレーション結果の確かさ、あるいは不確かさの当否である。それをどのように見極めればよいのであろうか。

筆者が関わっている原子力分野では、国の基本政策に沿って「どこまで原子力利用のレベルを低下できるか」、逆に言えば「どの程度の原子力利用が不可欠か」を見定めることが最重要な問題の一つとなっている。ここで問われるのが、我が国の将来エネルギー需要とそれに必要なエネルギー供給のシミユレーションの精度である。

エネルギー需要に関する将来予測については既に多くのシミユレーションが公表されている。問題はそれらをどのくらい信頼できるかである。専門家の間ではある種の常識的値踏みというものがあるのかも知れないが、我々門外漢にはまるで見当がつかない。将来予測に何がしかの不確実さがあるのは不可避としても、常識的判断に繋がる何らかの実証的な試みぐらいはあってもよいのではないか。

たとえば、過去のある時点に立ち戻って、そこから現在に至る経過を、現用の将来予測手法で計算してみるというのは如何であろうか。石油ショックに見舞われた1973年時点から現時点までのシミュレーションである。これなら、その間の経緯がほぼ正確に把握できる。1973年では、現在に至る途中の状況をデータとして正確に入力できないのは当然である。計算条件もどんどん変化するはずである。従って、1973年の基礎データと予測条件で計算すれば誤った結果が出るのは当然である。しかし、途中で大きな条件変更が生じた時点で、順次変更を加えてゆけば、最終的には現在の状況を予測するはずである。

この間に関しては、入力データや設定条件変更の事由をかなり正確に把握できる。またどのような場合に何が発生し、入力や条件をいかに修正しなくてはならないかの情報も得られている。修正を行わないときには、最終結果にどれほどの差異が生じるかを把握することができよう。このような試みを原子力利用選択の有無の各ケースについて実施すれば、将来予測のために、どのような変動に対してどの程度の調整が必要かがより確かに把握できるのではないか。どなたか専門家の試みを期待したい。

以上