協会情報

電気新聞「時評」事故解明の鍵情報

平成26年5月26日
元日本原子力技術協会最高顧問
石川 迪夫


このほど「考証 福島原子力事故―炉心溶融・水素爆発はどう起こったか」と題する本を、電気新聞から出版できた。検討の開始から出版まで14ヶ月も時間が掛かった。その理由は事故解明の鍵となる見聞証言が少なく、証明に難航したためだ。

例えばチェ事故の場合「爆発音と共に、発電所上空で火花が悪魔の踊りを舞っていた」などの見聞証言が多い。この証言は、蒸気の噴出がある時間続いたこと、火花が高温の燃料材料片であることを、臨場感を持って傍証している。これが福島にない。

事故原因が電源喪失であったから、データがないのは覚悟の上だった。福島と同じく炉心溶融を起こしたTMI事故の経過をお手本に、データを睨んでいるうちに事故経緯が徐々に分かってきた。

いやしくも事故解明の書だから、推測はできる限り排した。データのない部分は、米独と共に70年代に行った安全性研究「事故時の燃料挙動」の実験結果と、TMI,チェルノブイリ両事故の故実を基に、考証で補った。細部は別として、事故進展の粗い道筋は、これで解明できたと信じている。

長丁場の検討の途次、考えた事、見出した事、困ったことなど、本に書けなかった余見を、今後幾つか本欄に書いていく。

今回は、見聞証言が少ない事だ。その原因は、政府事故調の聞き取り調査が証言となり、偽証は告発とマスコミで報道されたことにあった。只でさえ口の重い電力気質だ。証言相互の齟齬が問題になってはと口を閉ざした。こうなると、もうテコでも動かない。事故直後の新鮮な記憶は、これで圧殺された。僕のような原子力の理解者が訊ねても返事はない。

その具体例が海水注入場所だ。こんな事まで話せないのだから、腹立たしいというより悲しい。僕は、注水は当然炉心上部のスプレイからと思っていた。この場合、注水と同時に炉心は崩壊しないと実験事実と合わない。事故現象が時間的に説明できないのだ。

苦慮二月、ふとした会話から注水は炉心の下から入ったと知り、疑問は瞬時に雲散霧消した。その時の喜びと、拍子抜け。下からの注水なら、水が炉心に到達する迄に時間がかかる。計算と現象が合い、全てが説明できる。

その2は、周辺の背景放射線量の上昇時刻(12日4時)が、1号機のベントを開いた時刻(12日14時半)より早い件だ。これも理屈に合わない現象だ。実は、僕の報告書の読み方が悪く、朝4時に消防ホースを原子炉配管に繋いだとの作業記録を見逃していた。だがこんな見落としは、普通なら電話での問い合わせで済む事だ。

配管にホースを繋ぐことは、原子炉から放射能が外に漏れる道筋を作ることとなる。この接続作業が線量上昇の理由だった。

その3は、昨年12月、本書の最終校正の最中、海水注入配管には枝管があり、その漏洩で注入海水量が定かではないと、東電が訂正発表してくれたことだ。

これは天佑神助の発表だった。詳細は避けるが、3号機の水位データと注入量が一致せず、その解釈に困っていた。仕方なく計算を捨て、データが正しいとしての事故経緯を本に書いた。東電発表は、この選択に理があったことを、証明してくれたことになった。

ご覧になったように、事故解明の鍵となる情報とは、このような些細な情報だ。気づき難いが、隠す事柄ではない。政府事故調は、この些細な事ですら出せない雰囲気を作った。混乱した状況下の証言などは食い違いがあって当然なのだ。その見分け、判断は調査委の仕事だ。硬直した世に阿ねる姿勢が、調査を失敗させた。失われた生々しい目撃情報は、もう取り戻せない。今も事故解明の障害となっている。今後のための改善を、政府に強く望む。

以上